朝7時にトイレに起きて、男治郎に見つからないようにそーっと降りたが、見つかって歓迎された。
僕はトイレをして2階に上がり二度寝。
昨日、急に寒くなったので布団が気持ち良かった。
8時半くらいに起きて降りて行くと、一応10秒くらい歓迎してくれた。顔を洗って男治郎のご飯をする。
今日もご飯をガツガツ食べる男治郎。
とても気持ちが良い。
ご飯の後で外に連れ出すと、オシッコもウンコもバッチリしてくれた。
またまた気持ちが良い。
ウンコは不揃いの長さの棒が4本横に並んで、横向きの棒グラフになっていた。
何のデータかは知らないが。
男治郎は外に居たいようなので、昨日からの暴風でボロ布のようになびいている日除けを取り外す間、外で僕を見守る守護神となる。
何の影響か知らないが昨夜から台風みたいな風が吹いて、日除けがエライことになっているから取り外す。
「来年は買い替えだねー」
などと、何を言っても返事のない男治郎に話しかけながら作業した。
本当に返事がない。屍のようだ。
その後も男治郎は外に居たいようなので、海まで散歩に連れて行くことにする。
男治郎は海まで行くと歩かなくなるので、カートは必需品だ。
男治郎はご自分のカートが大好きなので直ぐに乗るが、適度に歩くようにカートから降ろす。
を繰り返しながら、2人でノロノロと歩いて行く。歩く速度は遅いし全然ウォーキングにはならないけど、しょうがない。
これはこういうものなんだと受け入れる。
海に行くと、波頭が暴風に崩れて風に舞い散り、俳句や浮世絵の世界だった。
その間も隙さえあればカートに乗ろうとする、男治郎のオフェンスをガードしながら、僕はカートとリードを操作しながら散歩した。
景色を楽しんで、男治郎の動きに注意しながら自分の体も使って、リフレッシュ出来た気がする。
僕は自分に、犬との時間を楽しむようなことがやって来ると思っていなかった。
奥さんと出掛けたり旅行に行ったりしたのは素晴らしい時間だった。
そして子供が生まれて一緒に遊んだり、散歩をした時間は掛け替えのないものだし、お金には代えられない素晴らしい財産だと思う。
しかし、自分が飼っている犬との散歩の時間は、また違った素晴らしさがある。
日を浴びながら犬に話しかけ、風に揺れている木々や草花から目を戻すと、男治郎が僕の方を向いて「楽しいね」という目を返してくれる。
その目が僕に何一つ望んでいないのが分かるほど無邪気なので、僕もただ楽しいと感じられる。
男治郎を乗せたカートを押しながら、のどかな畑を通る道を歩いていると、向こうの方で電気工事の人たちが「次のやつ行くぞー!」と言っている。
男治郎はそれを呆けて聞いていて、僕は風に揺れている雑草の、セイタカアワダチソウを見て季節を感じていた。
僕は、セイタカアワダチソウを「綺麗だな」と見る日が来るなんて思わなかった。